2008年11月21日
畠山眼科
或るシンガーは、
メランコリックが好き、と。
僕も、メランコリックが好きです。
注
酔 っ て い ま す 。ま じ で 。
ある作家の見えないものと見えるものについて考えていた。
それを酒のツマミにしてたんですよ、ふふ。
カントの言う超越論的観念論。
時空の経験的実在性と超越論的観念性。
僕の興味は後者にある。
アプリオリな形式的条件ではないもの。
「現象」は空間と時間の枠組みの中で経験できるものである。
「見えるもの」だ。
つまり、僕の前にある物、甘いお酒の入ったグラス。
確かにグラスだが、カントが言うには、
これは時間と空間の枠組みの中にある未知の物体であり、
その性質や関係を自分は認識しているつまり経験しているから僕は未知の物体をコップと判断している。
人間の経験の先、経験を超えたところにあるものが「物自体」
つまり時空という枠組みの外にある。だから「見えない」
純粋理性(カントの言う理性です)は経験によらない認識原理を提供する。
アンティノミー。世界は時間的、空間的に無限である。二律背反だ。
この答えは、無限であるし、無限でない。
つまり経験を超えたものだから答えられない、しかし人間の理性は働くから考える。
理性が対象とできる範囲は「現象」の世界。
人間が認識できないものが「物自体」。経験を超えたもの。
分かる。分かるんだけどじゃあその「物自体」って例えばなんですか?神とか?
そんな事を、ホルストのジュピターを聞きながら考えてました。酒飲んで。
今日は記念すべき日。
あ!つまり、かたちを成していないもの。感情とか。それが物自体?
なんだかわからんけども、これからもよろしく。
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